【リノベ事例】目黒区下目黒2丁目/リノベーションプロジェクト

今回は、桜の名所で有名な目黒川至近、ホテル雅叙園東京や目黒不動尊の中心に位置する「東京都目黒区」にある築23年中古マンションのリノベーションをレポートしていきます。

1.地域情報

・目黒 名前の由来

「目黒」という地名の由来には、以下のような様々な説があります。

  1. めぐろの『め』は馬(駿馬)という意味で、 『くろ』は畔(あぜ)道を意味する。「めぐろ」は、馬畔(めぐろ)という音から生まれたという説。
  2. 目黒、目白、目赤、目黄、目青の五色の不動尊の1つ「目黒不動尊」が当地にあるという説。
  3. 『め』は窪地や谷を意味し、『くろ』は嶺を意味する。この地形を表す音が合わさり、目黒川と谷を囲む丘陵地帯から起こったという説。

1932年(昭和7年)には目黒町と碑衾町(ひぶすままち)が合併して目黒区が誕生しました。

今昔マップon the webより作成

・地域の歴史

江戸時代の一大行楽地の中心となっていた目黒不動尊。目黒駅から目黒不動尊入口までは料理屋や土産物屋が建ち並び、賑わいをみせていました。また、目黒川沿いの桜はこの時期に植えられたとされ、今でもキレイな桜を咲かせる有名な地域になっています。
戦後の復興では急速に発展し、住宅地の性質を強めました。さらに目黒川沿いや中目黒、自由が丘のエリアには商業施設や飲食店があつまり、人気のスポットとなっています。

 

1923年(大正12年)に目黒駅から丸子駅(現在の沼部駅)間を皮切りに、東急目蒲線(現在の東急目黒線/東急多摩川線)が開業されました。その後1927年(昭和2年)に東急東横線が開業され、駅名が次々と変わっていきます。

「学芸大学駅」は3回の改称を経ていますが、1964年(昭和39年)に東京学芸大学が小金井市に移転した際に「碑文谷駅」へ戻すことを検討されました。
そして「都立大学駅」は4回の改称を経ていますが、1992年(平成4年)に大学が八王子市に移転すると同時に戻すことも検討されました。
どちらも住民アンケートの結果「長年親しんだ駅名を変えないで」という声が多く変更はしなかったという歴史があります。
また、「自由が丘駅」は1927年(昭和2年)「九品仏駅」として開設され、大井町線開通前に「自由ケ丘駅」の名称に変更され、現在の「自由が丘駅」は1966年(昭和41年)に改称されました。

これは東急東横線の駅名変更の一部ですが、様々な転機があり街が発展していったことが伺えます。

近年の目黒駅の大きな発展といえば、2017年(平成29年)に竣工した駅前の「目黒セントラルスクエア」と「Brillia Towers目黒」の大規模開発です。
山手線内側1分という立地の希少性が大きく評価されているマンションで、分譲当初は資産形成の目的が多く富裕層の反響が多く話題になりました。敷地内は緑が多く喧騒から逃れ、駅隣接とは思えない自然を感じることのできる空間になっています。

 

■JR山手線で渋谷駅まで5分
■JR山手線で品川駅まで7分
■JR山手線で新宿駅まで12分
■JR山手線で東京駅まで20分
■東急目黒線・東急東横線で横浜駅まで31分

 

・目黒のさんまの歴史

海に面していない目黒に「さんま祭り」?と思う人、またここ数年、コロナ禍でイベントが縮小、中止になっていて知らない人もいるかもしれません。

「さんま祭り」は、秋のサンマの旬の時期に語られる事が多い古典落語の演目の一つからきています。
江戸時代、目黒に立ち寄った将軍様がサンマを食し、この味が忘れられず「サンマは目黒に限る」と言い切る殿様を風刺するといわれている滑稽話です。

この話をもとに、1996年に目黒駅の西側で「目黒のSUNまつり」が、東側で「目黒のさんま祭り」が毎年催されて焼サンマが無料で振舞われています。

地域の事業者・実行委員の人たちが力を入れている一大イベントです。

 

・現在の目黒~名所と名建築~

目黒川名所の桜並木
目黒川沿い約4㎞の桜並木に約800本もの桜が咲き誇り、エリアによって桜の見え方楽しみ方が変わってきます。

上流:池尻大橋付近の上流は川幅が狭く桜の花が川を覆いつくし桜のトンネルのように見えます。
中流:中目黒付近の中流にはカフェやショップが立ち並び、食事や休憩をしながら楽しめます。
下流:下目黒付近の下流は川幅が広く広場や遊歩道が整備されていて、ゆっくりとお花見ができます。

満開の時期にはライトアップなどイベントが開催されていて、夜になると提灯が幻想的な光を放ちます。風に吹かれて散る花吹雪や水面に浮かぶ花筏も見どころの一つです。

ホテル雅叙園東京
歴史的建造物と豪華な芸術品に触れることができる日本で最初に誕生した総合結婚式場です。

エントランスから客室・バンケット棟へ続く回廊の両脇には水面が広がり、季節によって飾られる装飾やフラワーアレンジメントに心奪われます。圧倒的な迫力のある旧目黒雅叙園のエントランスを移築した「招きの大門」を通り抜けると、カフェやレストランエリアになり、その吹き抜けの空間や庭園の滝、川の音が都会の喧騒を忘れさせます。

なかでも東京都指定有形文化財になっている「百段階段」は『昭和の竜宮城』と称された木造建築で時代を超えた名建築です。アニメ映画「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルの1つと言われているこの場所は、季節ごとにイベントも開催され誰でも見学することができます。

目黒区役所(目黒区総合庁舎)
1966年(昭和41年)に千代田生命保険相互会社の本社ビルとして竣工した、昭和の名建築家 村野藤吾氏の代表的な作品の一つです。2003年(平成15年)に目黒区役所として改修されたときも、この建築を残すことを課題にして建て替えられました。

もっとも特徴的なのは、建物の全面がアルミの鋳物でできているルーバーです。また、南側エントランスの湾曲した庇も目に留まります。
エントランスホールは床や壁が白い大理石張りになっていて、曲線の階段が伸びていて、天井にはトップライトが埋め込まれています。お役所とは思えない美術館の様な空間が広がっています。中庭には池があり、趣のある茶室も残っています。
この貴重な建築を巡る“建築ガイドツアー”が開催されており、建築家の方のガイドがあるので外国人にも人気があります。

目黒インテリアストリート
2000年頃、目黒から西に延びる目黒通りはインテリアストリートと呼ばれ、北欧家具ブームをきっかけに多くの家具店が軒を連ねていました。
北欧家具に限らず、ミッドセンチュリー・モダン・アジアンテイストをはじめアンティーク・ヴィンテージ家具もあり、一点物との出会いを求めて散策する楽しさもあります。

 

・これからの目黒区開発(自由が丘)

スイーツ店や美容室が多く、閑静な住宅街のイメージがある自由が丘の開発が続いています。長年地元民に愛される街も建物の老朽化が問題視され、近隣の二子玉川や武蔵小杉に人が流れていました。

そんな自由が丘駅前の開発<自由が丘一丁目29番地区第一種市街地再開発事業>が2026年7月竣工予定で進んでいます。店舗やオフィス、住宅、駐車場の地上15階建てのビルは、都内各所で進む大規模な再開発と比べると小ぶりですが、周辺に高層ビルがなく駅前という好立地なので、完成すれば自由が丘のランドマーク的存在になることでしょう。

また、先立って2023年10月には大丸ピーコック跡地に商業施設「JIYUGAOKA de aone(自由が丘デュアオーネ)」がオープンし1年が経とうとしています。駅から徒歩2分の立地で、敷地の中に緑地やテラスが多く、四季折々の木々や草花が植えられ、開放感あふれる屋外空間となっていて、すでに話題のスポットになっています。

他にも、2028年度着工予定の<自由が丘東地区再開発>が計画されていて、自由が丘の街が活気づくこと間違いなし!新旧交わる街並みに期待できます。

 

2.物件情報

・立地

目黒駅から徒歩8分、目黒川と目黒不動尊の中間の閑静な住宅街にあり、南フランスを思わせる明るい外観と、石貼とテラコッタタイルが印象的な共用部、エントランスホールはホテルのロビーの様な落ち着きと温かみのあるスペースになっています。

徒歩2分にある目黒川は都内屈指の桜並木のスポットとして知られていて昼夜満喫できるのは魅力の一つです。また、目黒駅を中心に恵比寿・中目黒・六本木など飲食店が多くあるエリアにも気軽に足を運べます。

 

・物件概要

所在地:東京都目黒区下目黒2丁目
交通:JR山手線・都営地下鉄三田線・東京メトロ南北線・東急目黒線「目黒」駅徒歩8分
構造:鉄筋コンクリート造地上7階建て
総戸数:29戸
専有面積:41.25㎡
築年月:2001年9月

 

・室内写真<Before>

 

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