今回は、渋谷区の中心、渋谷駅から徒歩圏内の「渋谷区宇田川町」にある築43年中古マンションのリノベーションをレポートしていきます。
目次
1.地域情報
・宇田川町 名前の由来
「宇田川町」の名前の由来は、渋谷川の支流である、この地を流れる「宇田川」という川の名前に由来します。
宇田川の川の名前については、この地を開発した宇田川を名乗る一族の名に由来する説があります。また、宇田川という名前の川は神奈川県や鳥取県にもあり、砂・小石まじりの川を意味するという説や、「宇田」という刀が落ちた川であることに由来する説などがあります。
地名の由来である宇田川は、かつてこの一帯の田畑を潤していましたが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを前に地下に埋設され、現在は下水道として整備され川の流れを見ることはできなくなりました。
今昔マップon the webより作成
・地域の歴史
江戸時代は渋谷川に代表されるような川がたくさん流れ、田畑に恵まれ大名の郊外の別荘である下屋敷があるような場所でした。
1885年(明治18年)に渋谷駅ができてから近代的な街として発展していきますが、駅ができたとはいえ、それでもまだ田舎の位置付けでした。賑やかな渋谷になるのは、第二次世界大戦後ですが闇市文化ができたのもこの頃です。独特な雰囲気が残った一角は今でもこの街に残っています。
1932年(昭和7年)10月渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が合併し東京市渋谷区が誕生しました。この合併には一悶着あり、郊外のイメージが強い渋谷という地名になったので千駄ヶ谷町と代々幡町の住人たちの反対運動が起きたと言われています。
昭和30年代以降の高度経済成長期に商業化が進み、1964年(昭和39年)の東京オリンピックをきっかけに道路網の整備もされ大きく進展した代表都市として多くの繁華街が広がりました。
さらに昭和50年代からは、これまで若者の流行発信地であった新宿から渋谷へ商業施設の流れが移り、若者が集まる商業施設が次々と誕生します。
1885年(明治18年)渋谷駅が現在より南側に開業しました。当時の利用者は十数人と少なく、騒音をたて黒い灰を撒き散らす汽車は、田園風景広がる地では煙たがられ嫌われていたような一面もあったそうです。
1907年(明治40年)玉川電鉄玉川線(現在の東急多摩川線/東急田園都市線)、1927年(昭和2年)東京横浜電鉄(現在の東急東横線)、1933年(昭和8年)帝都電鉄渋谷線(現在の京王井の頭線)、1938年(昭和13年)東京高速鉄道(現在の東京メトロ銀座線)と次々に路線が誕生しました。
今では4社9路線が乗り入れていて、都内屈指のターミナル駅として発展しました。
■JR山手線・湘南新宿ライン・埼京線で新宿駅まで6分
■JR山手線で品川駅まで14分
■JR山手線で東京駅まで27分
■東急東横線・JR湘南新宿ラインで横浜駅まで約30分
・ハチ公像の歴史
外国人観光客の人気観光スポットとして、海外のガイドブックにも掲載されている渋谷のスクランブル交差点とハチ公像は、今でも人気の写真撮影スポットになっています。
日本人なら誰でも知っている待ち合わせスポットですが、なぜ外国人観光客にも有名なのでしょうか。
~ハチ公の生い立ち~
1923年(大正12年)に誕生したハチ公は、日本の忠犬として有名な秋田犬でした。当時飼い主だった上野英三郎教授を毎日渋谷駅まで送り迎えしていましたが、ある日、飼い主が亡くなってしまいます。しかし、亡くなった後も約10年、毎日渋谷駅まで通い飼い主の帰りを待ち続けました。
そんな飼い主に忠誠を誓って待ち続ける姿は、人々に感銘を与えました。渋谷駅前のハチ公がいた場所にはハチの銅像が設置され、今でも渋谷のシンボルとして親しまれています。
この物語はこれまでに映画化もされており、1987年(昭和62年)には松竹映画で「ハチ公物語」 が、2009年(平成21年)にはハリウッドでリメイクされて「HACHI 約束の犬」が公開されています。
昨年2023年(令和5年)に生誕100年を迎え「HACHI100プロジェクト」が開催された時には、渋谷の街はハチ公のイラストやグッズが溢れていました。
2020年(令和2年)にはハチ公像の目の前に観光案内施設「SHIBU HACHI BOX」がオープンしました。渋谷の玄関口になるこのエリアは国内外の観光客の観光案内所としてこれからも人々が集まる賑やかな場所になりそうです。
・代々木公園の歴史
明治神宮に隣接し、敷地面積54ha(東京ドーム11個分)あるこの場所は、野外ステージでのイベントやフェスが多く開催される都心で最も広い空が見られる森林公園として、多くの人が憩いの場として訪れる場所です。
その歴史は古く、時代と共に様々な変貌をとげました。
1909年(明治42年)から陸軍の練兵場として使われ、1910年(明治43年)には、この地で日本初の航空機の飛行に成功しました。戦後にはこの地の光景は一変し、米軍宿舎のワシントンハイツが建設されました。1964年(昭和39年)に日本に返還され、日本復興のアピールとなった東京オリンピックでは選手村となり、オリンピック終了の3年後、1967年(昭和42年)に現在の代々木公園として開園しました。
今では歴史と現代との魅力が融合している場所として、人々が集まる公園です。
さらに代々木公園内の集客活性化を行う計画として「代々木公園Park-PFI計画」が2025年2月に供⽤開始予定となり、新たな賑わいを生む施設が完成し、ますます賑わうエリアになります。
・これからの渋谷区開発(神南~道玄坂エリア)
渋谷駅を中心に100年に一度と言われている大規模再開発が行われています。
始まりは2012年(平成24年)竣工の渋谷ヒカリエと言われていますが、複数の高層ビル建設や鉄道路線の移設計画など大規模な再開発となっています。
大規模工事はホームの一体化工事にも及び、2015年(平成27年)に始まったJR渋谷駅の工事は、現在は通路の改修工事が進んでおり2027年に最終完成予定になります。
代々木公園※Park-PFI計画
渋谷と原宿を結ぶファイヤー通りの中間地点に、代々木公園と渋谷・原宿をつなぐ公園づくりプロジェクトが進行中です。「都市と公園を繋ぐ」をテーマに2025年(令和7年)2月に供⽤開始予定となります。
自然環境と都心の調和を図り、これまでの地域カルチャーを尊重したイベント用の“にぎわい広場”とスケートボード用の“アーバンスポーツパーク”、テラスなどが整備されます。
都立明治公園及び都立代々木公園Park-PFI事業設置等予定者の決定について https://t.co/WTcHFIvUkW pic.twitter.com/CoPGcqvg4d
— PR TIMESビジネス (@PRTIMES_BIZ) November 9, 2021
※Park-PFI計画とは…公募設置管理制度のことで、公園に施設を設置して運営する民間事業者を公募により選定する制度です。公園管理者の財政負担の軽減をし、公園の質や利便性を向上させることを目的としている。(例:ミヤシタパーク、ヒサヤオオドオリパーク)
Shibuya Upper West Project
2023年1月に営業終了した東急百貨店本店の跡地に、地上36階地下4階の複合施設が計画されています。この場所は「賑わう渋谷」「高級住宅地の松濤」「喧騒から離れた奥渋エリア」の3つが交差しています。ラグジュアリーな空間のホテルと洗練された店舗、ハイクオリティな賃貸レジデンスが建築されます。
もともとあった東急百貨店本店は、渋谷という街のイメージとは違った、ゆったりとした時間が流れる店舗でしたが、さらにハイクオリティな空間への発展が期待されています。(2027年度竣工予定)
渋谷の新たなランドマーク“Shibuya Upper West Project”が2027年度竣工に向け始動 https://t.co/aDXksR2tRC pic.twitter.com/R6f7uMx69V
— PR TIMESビジネス (@PRTIMES_BIZ) July 21, 2022
神南二丁目・宇田川町地区地区計画
渋谷区役所の南側にある渋谷ホームズの建替え計画として、高さ約150mの超高層タワーマンションが2026年着工予定となり、渋谷区役所周辺の建物の中でも特に高さのある建物となります。合わせて神南小学校の建替えも連携して行い、一体的なまちづくりが計画されています。学校と街の一体化した計画で防災機能の連携も図られ地域防災力の向上が期待されています。
渋谷駅周辺では多くの再開発があり建設ラッシュになっています。
環境へ配慮された建築計画が多くあり、都会の中でも自然を感じることのできる設計がされています。賑わいだけでなく、癒しの空間を楽しめる街に変わっていく渋谷にこれからも注目です!
2.物件情報
・立地
渋谷駅から徒歩8分、建替え予定の神南小学校裏で、渋谷の喧騒を抜けた場所に位置しています。1階には飲食店が入っており、外観は築年数を感じさせないブラウンのタイル貼りの落ち着きがあり、2階以上が居住フロアになっているため防犯面にも配慮した造りになっています。
・物件概要
所在地:東京都渋谷区宇田川町
交通:JR山手線・湘南新宿ライン・埼京線/東京メトロ銀座線・半蔵門線・副都心線/東急田園都市線・東横線/京王井の頭線「渋谷」駅徒歩8分
構造:鉄筋コンクリート・鉄骨造地上6階建て
総戸数:50戸
専有面積:41.73㎡
築年月:1981年3月
・室内写真<Before>